この村にダム建設の藩士が持ち上がった昭和30年代。
昭和34年工事着手 34年竣工
ダム湖に沈む事になったこの村は、学校を含み湖近くに転居
しかし、その住民のほとんどが山をおり、都市部へと転居していきました。
2F
こんな山奥で人が来にくい所為か、落書きも随分時代を感じさせるものになっている。
ガラスは割られているものもあるが、意外と自然に割れているのもある。
床の木は入り込む雨を吸い、そして乾き、それを繰り返し形を変え、バラバラになる。
時間と自然でできるそんな景色。
同地区に残った住民は少なく、移築されたこの学校に通った生徒は3名。
3名の為に建てられた学校と考えられます。

ダム建設によって転居した157世帯のうち、この地区に残ったのはわずか23世帯。
同村内別地区に32世帯、102世帯が山を下りていきました。
とにかく山深い。
行くのにとても時間がかかる場所だった。
この場所で生活となると、やはり不便な事は間違いない。

この村の一角に、日本で稀なオフライン郵便局があった。
あまりの山奥故、オンライン化ができなかったそうだ。
この郵便局で口座を作ると、とてもレアな通帳が手に入る。
が、その郵便局も2005年3月31日限りで廃止になった。

人がいなくなり、日本の片隅も世間に知られることなく消えていってしまうのかと、そんな風に感じさせる場所だった。
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