このお堂には、次の様な伝説がのこされている。 (話の内容は、時代の経過と共にいくつか話に枝分かれしている) |
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無間の鐘(むげんのかね)伝説 天平年中(七二九?七四九年) 遠州粟ヶ岳のふもとに菊川の里という村があった。 その村には菊川という川が流れており、その川の滝には弘道仙人という信心深い仙人が住んでいた。 信仰している不動明王に誓いを立てた仙人は、鐘を造って供えようと思い立った。 その鐘は栗ヶ岳の頂上の古い松の木に吊るし「この鐘の音によって、世の中が平和で人々が幸せに暮らせますように」と願いをこめた。 それからこの鐘は「無間の鐘」と呼ばれ、鐘の音は遠州各地へ広く鳴りわたった。 村人たちは、その音色を聞くたびに心安らぎ日々の喜びを感じていた。 いつしか、この鐘について噂が流れる様になった。 一度つくと、災難をまぬがれる。 二度つくと、病難をとりのぞく。 三度つくと、家が栄える。 四度つくと、運が開けて出世する。 五度つくと、子孫まで栄える。 六度つくと、武運長久となる。 七度つくと、末永く長者になれる。 噂を聞いた人達はその鐘をつこうと山へ登り始めた。 しかし、栗ヶ岳の道は狭く険しく足を滑らせ谷底へ落ち死んでしまう人が後を立たなかった そのうちに「地獄へ落ちる鐘」と言われる様になった。 |
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話の内容は、時代の経過と共にいくつか話に枝分かれしています。 しかしその多くは、無間の鐘をつくと、現世では長者になって裕福に暮らせるが、死後、無間地獄におちて、絶え間ない責め苦にさいなまれるというもの。すべての食事が蛭(ヒル)に変わると伝えられている。それでも鐘をつく人が後を絶たなかったという。今が満ち足りていれば、後はかまわないという風潮は、今も昔も大して変わらないものなんですね。 |
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